「殺したいほど憎みます」ジャニー喜多川、最大の危機と内助の功【宝泉薫】
日本のエンタメ王 “ジャニー喜多川” とは何者だったのか?
■不世出の天才が抱いた葛藤に思いを馳せる
いわば、現実ではかなうことのない思いを芸能に託し、アイドル発掘に昇華させたのだ。ファンだって、いくら憧れ、応援しても、アイドルと結婚するなど夢のまた夢。そんなアイドルファンと同じ目線を、彼は常に持ち続けることができた。だからこそ、ジャニーズ王国は築かれたのである。
その死をめぐる事務所の公式発表には、こんな一節があった。病院での最期の日々についての描写だ。
「ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました」
そういえば、彼はJr.たちの稽古場に差し入れをするのが好きで、こっそり抜け出してはハンバーガーやスナック菓子をごっそり買い込んできたという。また、嵐の松本潤は当初、ジャニーの顔を知らなかったため「いつも稽古場をキレイにしてくれていたおじさん」がその人であることに驚いたと振り返っている。
そんなエピソードからは「内助の功」という言葉も連想される。実際、公の場に登場することは稀で、顔写真の公開もプロデュース業での実績がギネスに認定されたとき(平成23年)の一度だけだ。裏方にこだわってきた理由は、
「ビートルズの4人の中にサングラスのマネジャーが写ってるのを見て以来、タレントと一緒に写真を撮るのはみっともないと思った」(『スポーツ報知』)
というものだった。
美醜に敏感で、しかも少数派的な嗜好を持つ人の葛藤は想像に難くない。そこを芸能に昇華させ、長年にわたって大衆を楽しませてきたジャニー喜多川。不世出の天才に感謝するばかりである。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)